nurembergの日記

妊娠出産諸々の記録

川崎病2(入院~退院)

とにかくそうしなければ、と思い何も考えず

付き添いで宿泊した入院初日。

 

4人部屋で、小児科以外の患者さんも入院している状態。

ずっと1人の赤ちゃんが泣いていて、全く眠れなかった。

一睡もできなかった。他の患者さんも、明らかに

疲労困憊の気配を出しながら、朝が来た。

幸い、息子はよく寝た。

まだ卒乳できていなかったので、子どもベッドにむりやり入って

授乳しながら朝。からの出社。

あ、これは体壊れると思い、付き添い宿泊は

必ず1日おきにしようと心に決める。

親シフトもそれを踏まえてひとまず1週間分、調整がついた。

 

お世話になった東京医療センターは、親がずっと付き添う必要がなかったので、

遠慮なく昼はお任せし出社。19時に戻り、食事介助をするようにした。

その後、21時まで一緒にいて、帰る日と、そのまま泊まって朝病院から

出社する日を繰り返した。

 

数日経過したら、病室に空きが出たのか、昼間泣いてうるさかったのか、

個室に移してもらえた。

駒沢公園のいい夜景が見える部屋で、しっかり眠れるようにもなり、

少し気持ちにも余裕が出てきた。

点滴で入れている薬が、ワンクールでは効かず、二回目でようやく効いて

数値が安定したとのこと。目に見えて元気になり、点滴の時間も減って

廊下を走るようになった頃、退院できそう、ということで退院日が決まった。

結局8日間入院していた。

 

キッズスペースで何度か一緒に遊んだ0歳の子は、ひょっとして初日

一晩中泣いていた子かもしれないなあと思いつつも、何にも詳しいことは

聞かないで過ごした。

 

たった8日間だけど、東京医療センターに行って帰る夜の道のことを

今でも強く覚えているし、よく思い出す。

あまり感情の浮き沈みなく淡々とこなしてたけど、忘れられない。

 

一緒にいる時ぐらいは目を離すまいと、1人でコンビニに行くことが

憚られて、行きに食料買い忘れたら朝病院を出るまでずっと飢えていた。

川崎病1(発症~入院)

息子(当時1歳3か月)の川崎病発症、入院、退院までの記録。

※1年以上前のことで、今は経過観察しつつ元気に暮らしている

 

小児科に行って、抗生物質と胃腸薬もらって飲み切って、

それでも風邪がなかなか治らないなーと思っていた週明け。

朝起きたら、1歳3か月の息子の首の後ろが明らかに腫れていた。

これはダメだ。なにかが起きている。

 

いつも行く予約が必要な小児科に予約を取る時間が待てない。

待つけど予約いらない小児科に夫に頼んで朝から駆け込んでもらう。

私は出社。

すぐに大きい病院への紹介状が出て、検査して、お昼過ぎ、

川崎病、いまから入院』

と連絡があった。

 

実家に連絡、今夜娘を預かって欲しい旨伝える。

明日の送り(実家から保育園)は夫に依頼。

夕方まで仕事して、長女を迎えに行き、実家へ預け、

入院準備をして、18時に病院に滑り込み。

 

ずっと泣いていたのだろう、ナースステーションに

ベッドごと置かれていた息子、私の姿を見つけて

「ママ―!!」と初めてしゃべった。なんて切ないんだ。。。

 

木曜日高熱が出て、病院で薬もらって、金曜日下がって、

土曜元気で、日曜日でまた上がってきたな、というくらいで、

症状では判断つかなかった。足の裏や唇の赤さも言われてみれば

月曜日少し、、、という感じ。入院後、もう少し強く出るようになった。

首の後ろが腫れなければ、様子を見てしまったかもしれない。

 

即日、点滴で治療開始。

早ければ1週間、回復するまでの時間により退院の日程は決まる、、、

ということで、義実家・実家総動員して1週間のシフトを

組まなければ、、、とスマホをずっと持ちながら初日の付き添い入院開始。

 

リュック背負いたくない

ぺたんこ靴を履きたくないのと同様に、リュック背負いたくない。

anelloってかいてあるリュックぜったい背負いたくない。

でも、保育園バック1人分で既に自転車かごは飽和してる。

もう1人分の保育園バッグ、あるいはお買い物袋の入る余地がない。

 

どうしたものか、、というところで、嫌々色々見た結果、

一番私の気持ちに寄り添ってくれたのが

マザーハウスのYOZORA!(いやごめんなさいでも名前はだっせえ)

布じゃなくて革だし。

背負うのと、肩掛けが何のベルト付け替えなしにそのままできる。

これが超楽で素晴らしい。こどもを預けた後は、何食わぬ顔で

肩掛けカバンとして使える。

リュックに財布が入っていると、いちいちおろして財布出して、、とめんどくさいが

肩にかけた状態でレジに並んでカバンからごそごそすれば無問題。

 

仕事PCがA4より一回り大きいサイズなのだが、

丈夫がウリのレッツノートなので

気にせずケースなしで横に突っ込めば、背負うことができる。

(ケースありだとさすがに入らなかった)

A4サイズの私物PCなら、ケースに入れた状態で入れて、背負うことができる。

 

2018年12月にもう一回りデカいサイズも出たみたい。それなら入るのかもなあ

くたびれたら、色違いでもう一回買うかも、というくらい快適。

赤いだけが湿疹じゃなかった

 

夏、抱っこひもで竹藪そばの保育園に送り迎えをしていたら、

生後4か月の長男、蚊に刺されてしまった。

長女の時は、9か月くらいで刺されて、ものすごい腫れて、

それはそれは大事に薬を塗ってケアした。

 

長男はそれほどでもないし、気づいたら3か所くらいやられてた。

あー と放っておいたら、かいてかいて、血が出てしまった。

しばらくしたら治るだろ、とカレンデュラオイルの保湿を続けてはや2か月。

全然赤みとかゆみが治らない。ひざ下全体が、固くかさかさ、ザラザラの感触に。

それが腕にも広がっているように感じて、ようやく予防接種ついでに小児科で相談。

このガサガサも湿疹ですね、と言われ保湿剤とステロイドを混ぜた薬を

処方してもらい、たっぷり塗ったら翌日から超効いた。

足も手もすべすべ、、、。もらった分、2週間塗り終わったら完治した。

が、1週間と少ししたらまた、お風呂中とお風呂上り、お腹を中心にかゆがるように。

鳥肌状のぶつぶつがおなかと背中にできている。

また予防接種ついでに保湿剤もらい、塗り続けておさまった。

赤くないのも、湿疹なんだねー。

私にマインドフルネスはやってくるのか

ねえねえねえねえ、きいてきいてきいてきいてきいて、みてみてみてみて、

すごいでしょすごいでよすごいでしょ?

こうなんだよー(嘘)すごいでしょ?うれしいでしょ?

〇〇ちゃんはやってないよー(嘘)えらいでしょ?

 

子は愛している。お前のためなら死ねる。

しかし、辛い。大人の脳にこれは辛いのだ。仕方ないのだ。

いいまつがいならかわいいけど、繰り返しは退屈で、

嘘(これは大人の定義で、本人は創作話の一環のような感覚だろう。

無いものをあるといったり、いない人をいると言ったり、そういうこと)には

イライラしてしまう。

 

感情を押さえて、せめて怒らないよう真顔で答えると、

「おかあさん、それ何顔?」

と確認ともつっこみともつかない指摘が入る。

夫婦でよく使うつっこみの言葉を覚えてしまったのだ。

ちょいちょいさまぁ~ずみたいな言葉遣いが混ざる。

「まがおかよ!」「なんだよ」「ひくなよ」って。三村かよ。

 

まずは、真顔は悪いことではない、、というメッセージから伝えていきたい。

笑顔が無理でも、真顔をキープすることで怒りじゃないということを伝えたい。

ステマ並みの呼吸で気持ちを落ち着けたり、下の子がそういうとき大抵

にやっと笑っているので、それを見てなごんだり、猫を撫でて気持ちを落ち着けたり、

皆の力を借りて、波風立てずに毎日生きていきたい。

 

幸い、職場には絶賛子育て中パパが結構いて、

ちょっとの遅れや休みを多めに見てくれる。(と勝手に私が思っている。)

それぞれの嫁、ありがとう。家では発揮し共有れていないかもしれない

夫のやさしさを、他人の私が享受しています。

私の夫も、うちには早く帰ってこないけど、職場で子育て中の誰かを

支えていますように。

人出が足りないときは積極的に休み返上で働いたり、ここぞという時は、

シッターさんに預けて夜まで残ったりそんなこともしながらバランスをとっている。

 

共生への道のりに思いを馳せながら毎日の心の乱高下を収めていきたいと思います。

まだ、マインドフルネスには手を出さないぞ!

こどもを叩いてしまった(娘2歳半くらい)

あんなにかわいいかわいい言っていた上の子、

2人目が生まれ絶賛赤ちゃん返りと言葉の達者さに拍車がかかり、

とうとうやってしまった。

 

「まっすぐ向いて、ご飯を食べて」

 

(すでにこの言い方がいけていない。テーブルの反対から座ってたまま声掛けたし、

目を合わせていなかったし、口調も強かった。

指示は1つずつにして、一緒にたべよう?と近づいて目を合わせて優しく言えば

結果は違った。。。でもそんなことができないほど、それまでのイライラが募って

コントロールできなくなっていた。)

 

という私に、

「いやだ!」とにらんで大きな声でいう娘を、

瞬間、怒りに任せて叩いてしまった。

びっくりと痛いのとショックなのとで大泣きする娘。

やっちまった・・・と呆然とする私。

 

ケガしてないか確かめて、謝った。

「叩いてまで言うことを聞かせたいとはまったく思っていない、ごめん。」

泣きながら、痛いところをさすってくれ、と言う娘。

この時、ああもうだめだ。今すぐ仕事復帰しよう、

環境を変えないとこの世界線に幸せはない、と強く決意した。

翌月、認可認証保育園の欠員待ち8か所申し込み、保育ママのキャンセル待ち、

ファミサポ登録をして、オフィスそばの無認可保育所(24H)に空きがあることを

見つけて、翌々月1日からきっちり出勤を始めた。

 

そこから1度も叩いていない。娘は叩く必要のないタイプだと思う。

冷静な彼女に、叩かないと分からないことなんて何一つない。

これで最後にしたいなあ。

保育園(無認可)始め

上の子の保育園入園時は、2,3か月ずっと風邪ひいていたから、

覚悟していたのだけど下の子が結構丈夫。

 

最初の1週間、健康状態微動だにしない。ミルク全然飲まない。

昼の授乳だけが命綱。

2週目、ミルクを飲み始めて、おなかに来た。

夜中少し熱感あるも、微熱よりの平熱のまま、唯々うんちの回数倍増。

MAX10回ほど。時折白い。でも、ロタのような異臭はない。

あまりに平然としているので、カラーチャートとみてこれは胆道閉鎖症の白、、、?

という心配までした。尻がひたすら赤く腫れてしまい、カレンデュラオイルで治す。

そうこうしているうち、1週間ほどでうんちの回数は1日数回に戻った。

そして、ずっと緑だった色が見慣れた黄色になった。

彼の体の中で、いろいろミルクとの折り合いがあったんだろう。